今回のシンポジウム、パネルディスカッションのテーマは
「なぜ今、患者の声を聞く事が求められるのか?」でした。
そのためパネラーの患者さん達は、ご自分の体験、そこから感じたこと(快・不快も含めて)、そして自分の経験から学んだことを話して下さいました。この中には、現状の医療に対する課題も提示されました。その課題から次への提言もありました。
良かったこと、悪かったことも含めて、自分の経験の一つ一つを伝えていくこと、更に、自分だけの経験ではなく、より多くの仲間の経験を集めて、伝えていくことで、自分たちも変わり、相手にも現状を認識してもらい、互いに現状の医療を良くしようとするにはどうしたら良いのか、というきっかけを作っていこう、そのためには、今、患者さんが何を考えているのかを医療者は知る必要があり、また医療者の現状を患者側も知る必要がある。そういった答えが導かれていたように思います。
ディスカッションの最後にオーディエンスに感想、意見を伺いました。
そこでは、次のようなものが出ました。
・患者は医療批判するまえに自らを省みるべきだ
・現在の医療界の、特に医師の厳しさを知る必要がある
私は看護師ですので、同僚の医師や、特に研修医の労働条件の厳しさを自分の見える範囲ではありますが、知っています。また、看護師が、時間がないから良いケアが出来ない、患者さんのための看護が出来ないと悩み、燃え尽きていく様も実感しています。どちらも、心ある真面目な人ほど悩みの種となり、自分自身を苦しみの中に追いやっていく大きな理由となっています。
しかし、自分たちが辛いから、今の医療制度では患者さんの要求に答えることが出来ない、精一杯頑張っているのだから、患者さんには今以上のことを要求しないで欲しい、医療者を批判しないで欲しい、医療者を楽にするために患者にも学んで欲しいと言うのは、違うと思います。私は、患者の声、思いを聞くというのは、患者の側にたった治療をする上で、必要なことだと思っています。すべての場面でとはいいませんが、治療法の選択、告知などの場面では特に必要です。その患者の声、思いを、さて誰が聞くのかいうのは次の議論になります。医師なのか、看護師、患者会、いくつも考えられます。チーム医療として捉える話でもあります。
もちろん、患者さんや、一般の方に医療を学び、自分の健康を守るための努力をしてもらうことは必要不可欠です。しかし、医療者はそれを患者さんの責務とし、それが出来ていない人に対して批判をするのではなく、医療者は、そういった世の中を変えていく原動力となるべきではと思います。私たちが音頭をとって変えていかなくてはいけないと考えます。そして、医療者と両輪になって進んで行くのが、先輩患者さんたちなのだと私は思います。
そして、先輩患者さんたちの協力を得ながら、医療者自身が患者さんに学んでもらうにはどうしたら良いのか、医療者として出来ることがあるのではないかと模索する必要があると思います。それは、坂下さん(パネリスト)が語っていたように、病院の人たちが患者会を紹介したり、社会のリソースにつなげていくという方法かもしれません、開原医師のご意見のように、政策の場に患者さんが参加することかもしれません。医療従事者の団体がもっと声を上げて社会を政治を変えていくことかもしれません。
私は、医療者という職業を背負っています。どんなに辛くても、自分で選択した仕事であり、自分で辞めることも出来るのです。そして、この職業は患者さんのためにある職業です。患者さんは、病気からは逃れられません。嫌だからと言って辞める事も出来ません。病気はその人の人生そのものです。その患者さんの辛さや希望を、受け入れられないから拒絶するではなく、受け入れられない、出来ないからどうしていきたいと提案し続けることも職務だと考えます。
診察室で語られない事実に耳を傾けなくて医療全体が立ちゆかない時が、今訪れているのだと思います。今回のシンポジウムは『なぜ患者に学ぶ必要があるのか』という問いに対して答えを導くのには到りませんでした。それ以前に、医療における、患者、医療者の責務やあり方などの考え方のギャップがたくさん課題として出てきました。引き続きこのテーマに取り組んで行きますのでよろしくお願いします。
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