これって自殺なの? (岩本ゆり)

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エキブロエキブロのトラバ企画病院ベッドサイド・ストーリー集、作りませんかに初参加です。

この企画、医療関係のノンフィクションストーリーを皆で語ると言うことで、「これっていのちの授業そのものじゃない!」と思って参加しました。

私が普段、いのちの授業で語っているノンフィクションストーリーをご紹介します。

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パーキンソン病患った70代の男性患者さんで、嚥下障害のために気管切開をした方がいました。彼は非常に敬虔なキリスト教徒でした。

彼は、嚥下障害からくる肺炎で入退院を繰り返していました。しかし、いつも明るく、そして前向きに物事をとらえていました。
気管支鏡という検査の中では一番苦しいと言われる検査の時も、「大丈夫ですか?もうすぐ終わりますよ」と声を掛けるナースに、にっこりと笑顔を送るほど、周囲の人に優しい人でした。

その彼が、何回目かの肺炎で入院したある時、体調を不良を訴えました。検査の結果、彼は進行した腎臓癌でした。彼は、現状を把握し、ホスピス入所を選びました。教師であった彼は、ホスピスで最後の授業をしたいと言い、その授業の準備をしていました。彼は疲労感が強く、パーキンソンからくる手指の痺れから、椅子に座って原稿を書くことが30分も出来ませんでした。また、30分でわずか3行というゆっくりとしたペースでしか物を書くことが出来ませんでした。しかし、残された時間は少なく、ホスピスのスタッフの助けも借りて、彼は原稿を完成させました。その頃彼は、唾液の飲み込みも悪く、上手く話すことが出来ないため、毎日発声の練習をしていました。当初は30分のビデオを流して、なんとか1時間30分の授業をこなそうと考えていましたが、当日は一時間も座っていることする出来ないような状況でした。そんな彼が、教え子100人を前にした時、すっと背筋が伸び、滑舌がはっきりとして、なんと2時間の講義をしっかりと終えたのでした。それは、「やれば出来る」という言葉の意味を目の前で突きつけられたような出来事でした。

そんな彼でしたが、やはり講義の後にはすっかり気力も体力も落ち、寝ている時間が多くなりました。やがて、肺炎が再燃し、寝たきりになってきた時、ホスピスに入る前の内科の医師からこんな提案がありました。「あなたは気管切開をしているので、挿管せずに人工呼吸器をつけることが出来ます。いざ肺炎がひどくなった時は、人工呼吸器をつけて治療をして、また復帰することが出来ますよ。」と。彼は、その場では返事をせず、家族と廊下に出て話をしていました。そこに丁度通りかかった私に彼が聞きました。「人工呼吸器はどうしてもつけなくてはいけないのでしょうか?」私は、「まずは○○さんの希望が優先されますよ」と伝えました。すると彼は、私はキリスト教徒です。あなたもそうですよね。だからあなたに聞きたかった、人工呼吸器をつけないという選択は、キリスト教で禁じられている自殺に当たる行為だと思いますか?治療できるのにしないことは罪深いことだと思いますか?」と。

この問いに答えはあるのでしょうか。私は、彼の「呼吸器はつけたくない」という気持ちを知っていました。そして、その時私の頭をよぎったのは、「彼が呼吸器をつけると言ったらホスピスの病棟から出て行かなくてはいけなくなる」ということでした。そして、彼の希望である呼吸器をつけないと言う選択が正しいと思う理由を話しました。でも、それは医学的判断でしかありませんでした。きっと私の答えは、彼の求めていたスピリチュアルな希望とはかけ離れていたと思います。

私は彼と会って、患者さん一人一人が、こんなにも複雑で、大切な自己決断の最中に一人で立ち向かっていることを知りました。キリスト教徒であってもなくても、彼の問に答える方法があったはず。今はそう思いながら、まだまだその答えを探し求めています。

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